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2013年05月03日

戦艦大和のタイクリップ_戦艦ってナニ?

「カッコ良い」のだ。理屈じゃなく。
そのディティールにまず魅入ってしまう。
たぶん磨ぎ澄まされた「なにか」があるからなのだろう。

戦艦が知りたくなって「戦艦入門/著:佐藤和正」で入門することに。

戦艦は中世から近世までじつに数百年の歴史がある。
・・・スペイン無敵艦隊の「アルマダの海戦」が1588年だとしてざっと400年くらい?
海上兵器の中で王者であり、戦力の強弱であり、国力のバロメーターだった。いいねぇ。
第二次世界大戦がはじまるまでは。・・・「までは」。
現在では完全に過去のものとなった「戦艦」。「完全に過去」。なんて寂しい言葉だろう。

代表的な帆走艦は1805年にネルソン提督が、トラファルガー海戦で、フランス・スペインの連合艦隊を打ち破った時の木造帆走の戦列艦。104門搭載、排水量2500トン。この木造船を鉄と蒸気の導入で脱皮させたのが産業革命。この英海軍の「ヴィクトリー」。今でも存在するらしく、世界最古で唯一の「現役艦」なんだそう。すっげー、今も生きてる。見にいきたい。

「ヴィクトリー」の進水は1765年で日本は江戸時代後期(明和2年)10代将軍家治。
う〜ん、う〜ん、どうも「江戸時代」が時代ドラマ過ぎてピンとこない。

近代的な戦艦のはじまりは、蒸気機関を積み、船体を鉄で覆った「装甲艦」で、その始祖といわれている世界最初の航洋装甲艦が「ウォーリア(Warrior=戦士)」。1859年に英国海軍が建造。排水量9000トン。最新式の砲尾装填式110ポンド砲八門を備え、先込め式68ポンド砲二十六門を並べ、上甲板には100ポンド砲二門。機関燃料が石炭で、長期航走に不安があるため、帆装は従来通りの汽帆併用艦。
この1859年の日本は幕末安政6年、14代将軍家茂で、横浜港開港の年で、「日本騎兵の父」陸軍軍人、秋山好古が産声を上げた年。1年前に井伊直弼による「安政の大獄」があり、この翌年の「桜田門外の変」でその井伊直弼が暗殺されることになる。

日本で最初に保有した戦艦、初代「扶桑」が、この「ウォーリア」タイプ。

1871(明治4)年:英国が砲塔を全面的に採用した最初の艦「デヴァステーション(Devastation)」建造。砲塔が大砲と一緒旋回する近代戦艦のスタイルへ大革新。

1878(明治11)年:英国に発注して、初代「扶桑」誕生。排水量3717トン、速力13ノット、当初は三本マストに引き込み式一本煙突だったのが、その後改装され機関動力のみで航走。主砲24センチ砲四門、副砲17センチ砲二門、7.5センチ砲六門、その他九門。

1894(明治27)年:「扶桑」日清戦争参加。海防艦「松島」「厳島」とともに活躍。

1897(明治30)年〜 1902(明治35)年:英国戦艦「ロイヤル・サブリン(Royal Sovereign) を基準にした、最先端の戦艦を発注。「富士」「八島」「敷島」「朝日」「初瀬」「三笠」がぞくぞくと完成。当時の「三笠」は排水量1万5140トン、速力18ノット。世界最大の戦艦で、最優秀の戦艦群となる。

1903(明治36)年:ライト兄弟初飛行。初飛行を果たした12年後の1915(大正4)年には英海軍の雷撃機「ショート184」が世界最初の魚雷攻撃をしている。飛行機は馬で、パイロットは馬と一体となる騎士であり武将なのか。「鳥のように大空を飛びたい」から、あっというまに「鳥のように獲物を狙いたい」に変換できる本能的な好奇心がおっかねぇ。

1904(明治37)年:主力艦を国産にする必要にせまられて、はじめて日本人の手で、巡洋戦艦「筑波」「生駒」、戦艦「薩摩」「安芸」を設計、翌年着工。「筑波」と「生駒」は1万4000トン級の大鑑でありながら速力20.5ノット、戦艦では持ち得ない巡洋艦の運動力と30センチ砲四門による戦艦の戦闘力を備えようという、初めての国産なのに画期的すぎる試み。・・・うんうん、どうせならいっそそういうの作りたい気持ち、わかるなぁ。

1906(明治39)年:ところがどっこい、従来の戦艦とは全く異なるニュータイプ「ドレッドノート(Dreadnought)」が神懸かり的に英国が建造。「三笠」より3000トン大きいだけなのに、主砲は倍の八門でもっと高性能、推進機関に蒸気タービンを初めて採用したあげくのなんと速力21ノット。他の戦艦より3ノットも早い。スゴ過ぎる。ドレッドノートの驚異的な戦力は、世界中の戦艦すべてを旧式艦に転落させてしまう。「薩摩」「安芸」なんて建造中に転落。さっきまで最強だったのに。なんてこった。あんなに強いベジータを鼻歌でやっつけちゃったフリーザって何?!みたいなショックだったんだろうなぁ。 「ドレッドノート型戦艦」を略して「弩級艦(どきゅうかん)」と呼び、「弩級艦」が新しい主力艦になると世界中で大反響起こし時代の革命児となっていく。「ド級」「超ド級」の「ド」はドレッドノートの「弩(ど)」。あー、わかるわー。

1909(明治42)年:ドレッドノートに驚愕した世界中の海軍が「追いつけ追い越せドレッドノート」と弩級艦建造に大わらわ。日本海軍もせっかく造った「薩摩」「安芸」には目もくれず(気の毒に)弩級戦艦「河内」「摂津」を設計。45年に完成。排水量2万1443トン、速力20.5ノット。出来はイマイチだったけど弩級艦保有が実現し、遅れをとらずにホッとする。

1912(明治45)年:英国海軍が弩級艦をさらに強化拡大した「超弩級戦艦オライオン型(2万2000トン級/34センチ主砲八門)」と「超弩級巡洋戦艦ライオン型(2万6000トン級/34センチ主砲八門)」を完成させる。特にライオン型の速力は他が20ノットが精一杯の中、26.27ノットの快速ぶりに世界中が驚嘆。弩級戦艦「河内」「摂津」が完成したこの年に超弩級戦艦を見た日にゃあ。あのフリーザを一瞬でタタッ切ったトランクス何なの?!みたいな青天の霹靂だったんじゃなかろうか。

1913(大正2)年 :「オラ・・・オラ、もっと強くなりてぇ」とライオン型を範としさらに改良を加えた最後の英国生まれの2万6000トン級巡洋戦艦「金剛」完成。

1915(大正4)年 :「ライオン型」をさらに改良した「金剛」の主砲を36センチにし、魚雷発射管を八門に増強してもっと強化した「比叡」「榛名(はるな)」「霧島」完成。「金剛」型四隻で編成された第一艦隊第三戦隊は当時、世界最強の主力艦隊といわれ列国海軍の羨望の的になったほど。おお、ついにスーパーサイヤ人に。

1915(大正4)年 :超弩級戦艦全盛期にまたしても英国が超弩級戦艦の決定版ともいえる最優秀艦「クイーン・エリザベス型」を完成させる。「クイーン・エリザベス型」は戦艦の強力性と巡洋艦の高速性を併せ持ち、主砲に世界最大の38センチ砲八門のを装備する「高速戦艦」。英国はこの「クイーン・エリザベス型」五隻と「ライオン型」4隻とともに理想的な超弩級艦隊編制を成功させる。・・・16号、17号、18号ときてそれからえーっと、、、このへんで第一次世界大戦がはじまる。

1916(大正5)年 :ジェッドランド沖海戦で英国の超弩級戦艦ライオン型「クイーン・メリー」が衝撃の轟沈の一方でドイツの弩級艦は浮沈性が高かった結果により、防御力を強化し、浮沈性を高める改良が一斉に波及。改良の後「長門」「陸奥」が竣工。「ポスト・ジェッドランド」と区別されている。

1921(大正10)年 :ワシントン軍縮条約で日本海軍八十八艦隊構想が雲散霧消。主力艦新規建造をむこう10年停止。この期間が「ネイバル・ホリデイ(Naval Holiday=海軍休日)」。

1941(昭和16)年:「ネイバル・ホリデイ(Naval Holiday=海軍休日)」後、史上空前の新戦艦「大和」が完成。

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やっと登場!「戦艦大和」だー!!

投稿者 jam : 2013年05月03日 23:13