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2013年09月08日

空母ってナニ?

1903(明治36)年:ライト兄弟が「ライトフライヤー号」で世界初飛行。
1910(明治43)年:飛行家ユージン・エリイが軍艦から世界初発艦。

たった7年で目覚ましい進化を遂げる飛行機たち。第一次世界大戦以降(1914年〜)には旅客機や軍用機が実用化されレシプロ機が成熟。

1914(大正3)年:ドイツ全金属製・片持ち式低翼単葉機「ユンカース F.13 」初飛行 。
1915(大正4)年:ドイツ単葉機「フォッカー E.III」初飛行。
1927(昭和2)年:リンドバーグが大西洋無着陸横断単独飛行を初達成。
1935(昭和10)年:「スーパーマリン スピットファイア」初飛行
1935(昭和10)年:「九六式陸上攻撃機」初飛行
1937(昭和12)年:「九七式艦上攻撃機 」初飛行
1939(昭和14)年:「零式艦上戦闘機」初飛行

その結果、制空権を握った側が勝利を収め、第二次世界大戦(1939〜1945)では陸・海問わず戦闘の主役となる。

その、飛行機の発達の歴史と伴って第一次大戦後に誕生した、一番新しい戦闘艦が「空母」。その特殊な生まれ方から他の軍艦の成長過程とは全く異なる軍艦のニュースクール。曖昧にならないように空母には定義があるのだそう。

「空母とは、固定翼機を搭載し、飛行甲板を有し、ここから飛行機の自力により、またはカタパルトで射出して発艦、または着艦させることができる艦をいう。飛行機が着艦せずに水上に着水し、これを揚収する艦、およびヘリコプター専用艦は空母とはいわない。」

艦挺の権威、福井静夫氏(元海軍造船技術少佐)による明確な定義づけ。なるほど、読めばそうとしか思えないくらいとてもわかりやすいです先生。

ライト兄弟が初飛行に成功した直後から軍事活用を検討し、米海軍が「軍艦に乗せることができんか」と真剣に考え7年後に実現。その翌年には装甲巡洋艦ペンシルヴァニアを改造して着艦実験にも成功。

アメリカの実験成功に刺激されてと艦上機、水上機の開発にイギリスやフランスも注力。

1912(大正1)年:英国の旧式戦艦アフリカを改造して複葉機の発艦に成功。
1914(大正3)年:仏国も魚雷運搬船フードルを改造し水上機の発艦に成功。
1914(大正3)年:水上機運搬船「若宮丸」を改造し水上機母艦「若宮」とし就役。
1914(大正3)年:英国が商船を改造した水上機母艦「アークロイアル」竣工。
1917(大正6)年:英国が大型軽巡洋艦フューリアスの改造を計画。黎明期突入。
1918(大正7)年:客船コンテ・ロッソを改造して平甲板型の初期空母「アーガス」竣工。
1919(大正8)年:米国が艦隊用給炭艦を改造して平甲板型の小型空母「ラングレー」竣工。
1920(大正9)年:日本海軍の艦艇分類に「航空母艦」が設定される。

第一次大戦中、軍艦、客船、商船を改造した未完の空母は暗中模索しながらも活躍。空母の成長によって新しい戦術思想が生まれて、飛行機を搭載するための改造特殊艦から艦隊型空母の実現へ。このへんからなのね。

1921(大正10)年 :ワシントン軍縮条約で主力艦新規建造をむこう10年停止。
1922(大正11)年:空母の機能を計算した設計に基づく本格空母第一号「凰翔」完成。
1922(大正11)年:英国の本格空母「ハーミーズ」も「凰翔」の9ヶ月後に完成。

日本海軍は戦争終結までの間に制式空母13隻、軍艦改造空母5隻、商船改造空母7隻、合計25隻を建造し続け多くの世界的名鑑を生み出す。「赤城」「大凰」「信濃」もこの中に。

1927(昭和2)年:「凰翔」につぐ二隻目の空母「赤城」が完成。「赤城」はワシントン軍縮条約によって廃棄処分が決定していた巡洋戦艦「赤城」を本格改造したもの。二層式空母フューリアスの影響を受け、雛壇式三段という個性的な多層式飛行甲板を採用。

巡洋戦艦になるはずだったから「長門」型と同等の防御力で「長門」よりひとまわり大きく、主砲は「長門」より強力なうえに高速。高速で強力な戦艦がさらに航空基地まで増やしちゃった軍縮にびっくり。アレだ。一方から抑圧や制約が発生すると、より強力なもう一方も発生するアレだ。

1927(昭和2)年:米国も「サラトガ」「レキシントン」完成。すでにエンクローズド・バウでアイランド型。この「サラトガ」「レキシントン」、後の「赤城」「加賀」の四隻の大型空母が当時「世界の四大空母」と称されることとなる。

1928(昭和3)年:「赤城」と同じ多層式空母「加賀」も完成。比較のために実験的な設計。

1933(昭和8)年:欠点を克服すべく「加賀」を近代空母に大改装開始。

1935(昭和10)年:「加賀」の大改装工事終了。飛行甲板も多層式飛行甲板から壮大な一枚甲板となる。「加賀」の連合艦隊に復帰と入れ替わりに「赤城」がドック入り、大改装工事が始まる。

1938(昭和13)年:「赤城」への大改装工事終了。「加賀」同様、多層式フラッシュ型から近代的なアイランド型に変身。第一艦隊第一航空隊に編入。

1942(昭和17)年:ミッドウェー海戦にて「加賀」「蒼龍」「飛龍」とともに被弾。魚雷には強くとも上空からの攻撃にはもろく、格納庫内の誘爆による内部崩壊の果てに沈没。

・・・ふぅ、いまはここまで。

※「空母入門/著:佐藤和正」より

投稿者 jam : 2013年09月08日 17:49