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2006年10月06日

商店街に山車がやってくる!!

日時:10月14日(土)午前11時頃
場所:円頓寺商店街&円頓寺本町商店街

旧広井村の見舞車「紅葉狩車」・「二福神車」・「唐子車」が来円します。

この日はなんとギャラリースペースオープン日!!
きっと山車たちも祝ってくれているのでしょう。
以下軽く調べて頑張ってまとめてざっと説明してあります。
根気良く読んで下さい(笑)

「那古野庄広井村」とは現在の中区三の丸と中村区にあたり
JR名古屋駅前から直線距離で500m余り
(桜通・広小路通・江川線・それと堀川に囲まれた一帯)
が、江戸時代に名古屋城下の碁盤割りの町続とされ、那古野庄広井村に属していたそう。
今では高層ビルやマンションが建ち並び
車や人が行き交う「都会」の一角に緑に囲まれた神明社があります。

文化・文政から天保年間以後
近隣の那古野村・広井村あたりから
最盛期には16台もの見舞車が参加したといわれます。(名古屋祭・伊勢門水著)
しかし、明治維新後天王社が城外に遷座されたため(現那古野神社)
これら多くの山車は各々地元の祭礼に曳かれるようになり
花車の山車も6月の天王社(位置不明)の祭礼に参加することになりました。
9台あった広井村の山車も維新後余所へ売られたり
太平洋戦争の戦災で多くの山車が消失してしまい
僅かに残された3台の山車が、戦後からは10月の神明社の祭礼に曳き出されています。

■上花車町「紅葉狩車(もみじがりしゃ)」文政年間(1818〜1830)
徳川の許し紋として先提灯に葵の紋を印した威厳あふれる山車。
からくりは能の「紅葉狩」の所作を写したもので
維茂・鬼女・従者の三体からなる人形は名工・竹田源吉の手による傑作といわれ
また大幕の鹿の絵は森高雅の筆によるものだといわれています。

■下花車町「二福神車(にふくじんしゃ)文政年間(1818〜1830)
恵比寿(えびす)が鯛を釣り、大黒(だいこく)が打出の小槌を振ると宝船が飛び出し
その様を見た二福神が喜んで踊りに戯れ…。
ユニークなからくりとともに
水引幕の金波怒涛(きんぱどとう)、猩々緋(しょうじょうひ)の赤大幕、
「下花車」の黒刺しゅうなど、そのあでやかな意匠にも魅了される山車です。

■内屋敷「唐子車(からこしゃ)」文政年間(1818〜1830)
制作当時のままの車上のからくりは、前後左右に動き、逆立ちをするなど
まるで生きているかのような精巧な出来栄えです。
また、祭囃子も、能囃子を使って大つづみの代わりには太鼓を使用しており
江戸の勇(いさみ)・京の雅(みやび)を取り入れた独創性ある上品な囃子です。

※現在は名古屋市中村区名駅ですが、かつては現在の
花車ビルから東一帯を花車町、白龍神社あたりを内屋敷と称したようです。

「見舞車」の起源は、名古屋城内にあった三の丸天王社の祭礼に
車楽(だんじり=大型の山車)が2両曳き出されていて
その車楽に対する献灯車として参加したのが「見舞車」といわれる山車。
祭り好きで有名な尾張10代藩主斉朝公が「胡蝶」の人形山車を寄進し、
車ノ町が拝領のかたちでお守りした小型の山車とされています。


引用先URL

http://www5c.biglobe.ne.jp/~nagoya_m/parade/dashi.htm

投稿者 jam : 2006年10月06日 14:40

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